2014年01月08日

ひたすら「かわいい」の価値を強調する「女装男子」


 それにしてもなぜ、徹底的に「かわいい女の子」を描こうとすると、逆説的に「実は男」の設定に行きつくのか。それは旧来の「女の子らしさ」の表現が、今日「女装」のような偽物感をともなってしまうためである。そもそも、物語に登場する女の子の「かわいらしさ」とは、男性性との対概念で構築されたものである。それは近代的な主体たる男性の、成長と成功譚を下支えする特性を内包する。

 だが現在、直截的な男子の成長と成功の物語は描きづらい。ただがむしゃらに成功を望み、ハングリーかつアグレッシブに邁進する男子像に魅力とリアリティをもたせるには、描き手には相当の胆力と技量が必要なように思う。これと対をなして、現在かわいいだけの女の子キャラはメインヒロインにはなりにくい。昨今よく見られる漫画やラノベのヒロインに見られる「かわいいけど腹黒」ニューバランス 574「かわいいけど変人」「かわいいけど人間じゃない」等々の設定は、「純然とかわいいだけの女の子」の価値や魅力低減の証左だろう。

 だから逆説的に、かわいいの価値を強調するために、「女装男子」という設定が浮上したといえる。さらに昨今の男の娘は、ひばりくんのような中性的美の追求から、より旧来の少女美の追求に向かっているように思える。昨今の男の娘たちは、たとえば遠藤海成『まりあ?ほりっく』の衹堂鞠也のように、中性的魅力が物語の基軸をなす男の娘キャラも健在だが、一方で松本トモキ『プラナス?ガール』の藍川絆のように、体格も性格も女の子以上に女の子のキャラが隆盛してきている点は注目に値する。女装男子の美学は、性差越境の美的表現から少女美的価値そのものの追求へと、ニューバランス 996主題を移しつつあるようだ。
posted by mogusunwjy at 15:44| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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